箱根山通り
ホンダモンキー125が我が家にやって来た。6月に追加された車体色、パールグリッターリングブルーに塗られている。可愛くて何度もカーポートを覗き込む。そこに停まっているだけで嬉しい。翌朝はいつもより早く目が覚めた。雲ひとつない快晴、さあ試乗開始だ。
メインスイッチをONにした途端、いきなり心を鷲掴みされた。スピードメーターに、モンキーのクリクリっとした目玉が現れ、次の瞬間僕の顔を見つめてパチクリとまたたいたのだ。『嬉しいな嬉しいな、お散歩に連れ出してくれてありがとう』と微笑まれた気がした。あれは幻覚だったのだろうか?
暖まったエンジン回りから香水のような香りが立ちのぼってきた。バイクが新車の時に発する臭いだ。
今日のミニツーリングコースは前もって決めてあった。実家があった新宿区戸山からめぐろ区民キャンパスまでの約13kmのコースだ。
スタート地点の戸山は、ほんの150年前までは日本一の庭園があった地で、今でも山手線の内側では一番標高の高い箱根山と呼ばれる築山がそびえている。僕はその麓に住んでいた。 つい50年前、僕はここからめぐろ区民キャンパスまで、ホンダモンキーZ50Mで通学していたのだ。前後ホイールがリジッドの国内で市販されたモンキーの中では初代と言われたものだった。
16歳の誕生日の翌日、府中運転免許試験場で原付免許を取得して初めて手にしたバイクだった。月刊モーターサイクリストの売買欄の買いたしコーナーに掲載してもらったところ、豊島区にお住いの方から連絡があり譲っていただいたのだ。購入資金はお歳暮配達で得たバイト代を当てた。ジャスト一万円だった。
Z50Mといえば車体色は赤(正式名:スカーレット)と決まっていたが、僕が譲ってもらったZ50Mはフレームがメタリック・ブルーだった。とっても綺麗な仕上がりで、やっつけ仕事で塗ったものとは思えない。聞けば初代のオーナーはホンダS800ベースのレーシングカーデザインも手掛けた方だという。センスが群を抜いていた。僕はそのブルーをとても気に入いっていただけに、モンキー125にもブルーが追加された時に『やった』と喝采していたのだ。
Z50Mはストローほどの排気管から「プペペペペ」という排気音を発し前に進んだ。当時は『おお、これがオートバイというものか』と感心したが、モンキー125は次元が違う。動力性能がまったく違うのだ。50ccから125ccという排気量の違い、そしてキャブから電子制御燃料噴射装置への変換などで、スタイリングこそ50cc時代のモンキーを踏襲しているものの、その走りは非なるもので、まったく新しい乗り物になっている。エンジンをかけるにしても、ボタンひと押しでセルモーターがかけてくれる。
走り始めは少し遠回りになるが、箱根山の麓を巻くように走り、箱根山通りから大久保通りに出た。ここは横道が無いことから交通の流れが速くなる傾向がある。非力なバイクは道の片隅に寄るしかないが、モンキー125ならばそんなことは気にしてなくていい。それどころかクルマの流れをリードできる瞬発力や加速力があるのだ。他の車両に気を遣いながら走っていたZ50Mとはまるで違う。
キープレフトで走ると、駐停車しているクルマをやり過ごすためいつ右に出るかのタイミングの見極めが難しい。駐停車の車両が多い都内では、常に後続のクルマを気にしていなければならず神経が擦り切れる。右に出るチャンスを逃せば、停車している車両の後ろでクルマの列が途切れるまで待たなければいけない。その点、クルマの流れの中にいながら加速にも減速にも十分な性能を持つモンキー125だと苦労がない。この動力性能と制動力なら安心してクルマの流れに入っていける。
さらにスピードを増しても、安定性が良く、路面変化にもハンドルを取られることが無い。パワーやハンドリングに関しては、文句のつけようがないしっかりとしたオートバイになっていることに安心した。今日は楽しいツーリングになりそうだ。
大久保通りを左折して明治通りに入る。高校生の僕は左手を伸ばしてから左折した。Z50Mにはウインカーが装備されておらず、右左折は手信号で合図する必要があったからだ。モンキー125は左手でグリップを握りながら親指一本でウインカーランプを点滅させたりキャンセルできる。スイッチの位置もいい。今となっては当たり前の装備ではあるものの『うーん、やっぱり便利だ』。
『新宿三丁目』交差点
明治通りを南下していくと、新宿三丁目の交差点に差し掛かった。三丁目は全国にあるが、日本一有名な三丁目とも言われる交差点だ。雑多が売り物の新宿にあって場違いなほどおしゃれだ。進行方向左側の両角にはルイ・ヴィトンとバーバリーが進出し、右手の伊勢丹はウインドのディスプレイに渾身の力を注いでいる。人も多いが車道もバスとトラック、乗用車がひしめき合う。信号待ちのクルマが少しの隙間を見つけてじりじりと詰めてくる。Z50Mで通学していた当時、突然右ひざの内側に当たるものを感じた。『何かな?』と目線を下げるとクルマのバンパーが触れていた。車高も、乗車位置も低かったZ50Mはドライバーから見えなかったのだ。モンキー125のボリュームやポジションならそんな心配は無さそうだ。
甲州街道を渡り、高島屋タイムズスクエアを右ななめ正面に見ながらリーンウィズで左にカーブを切る。Z50Mではシートをニーグリップしたものだが、モンキー125はしっかりとタンクをニーグリップできる。ここから、表参道と交わる神宮前の交差点までは、今も比較的スムーズに車両が流れている。モンキー125はそれほど頑張らなくてもクルマの先を走ることができる。低速から十分なトルクがあり、40km/hを超えてもローギアでストレスなく引っ張ることができるので、クルマよりも常に一歩抜きん出られるのだ。ちなみに、ギアは1ダウン3アップのリターン式4速。クラッチもあるので、半クラ操作次第でよりスムーズに走らせることもできる。1アップ2ダウンの3速、自動遠心クラッチのZ50Mでは出来なかった操作だ。
『神宮前』交差点
明治通りと表参道が交差する『神宮前』の交差点には思い出がある。50年前、ここには交番があった。下校時、明治通りを渋谷から新宿方面に走ってくると、必ずこの交差点の信号が赤になった。そして、角の交番のお巡りさんが決まったように出てきて「免許証」と言って提示を求めるのだ。
小さいレジャーバイクが大通りを走っている。警官はそれだけでも驚いたのだと思うが、さらにそれを運転しているのが少年だ。警官は公道走行可能な車両なのか、さらには無免許運転を疑った。まずいことに僕の運転免許証の住所、本籍地、名前は手書きだった。当時、申請書類のその部分はそのまま免許証に使われるので代書屋でタイプ印刷するのが一般的だったのだが自筆がダメというわけでもなかった。ただし警察官にはそんなことを知らないひともいる。毎日のように免許証の提示を求められ、ここは長らく僕にとっての関所となった。
『神宮前』の交差点を抜け渋谷方面に走って行くとやがて右手に白いビルが見えてくる。僕とモンキー125は敬意を表して2速低回転でゆっくり走る。青山に移転するまでホンダ本社はここにあった。40年前、ホンダが世界グランプリロードレースに復帰するために制作したNR500を1時間だけ展示したという伝説のショールームがあった場所だ。今では、ビクトリー・ノックスなどいろいろなお店が軒を連ねている。モンキー125は早く走るもの得意だが、ゆっくり走るのも得意で、そこからの加速でアクセル操作が多少ラフになっても自分で調整してしっかりと回転を上げてくれる。アクセル操作がやさしい。
『渋谷駅前』交差点
渋谷を抜けて目黒方面に行くには、さまざまなルートがある。いろいろある中で、50年前の僕はサッカー日韓ワールドカップやハロウィン、ニューイヤーカウントダウンで世界的に有名になった『渋谷駅前』スクランブル交差点を抜けるルートを選んでいた。そのために、『神宮前6丁目』を右折して電車のガード下をくぐる。渋滞を考慮すれば通常選ばない道だ。ところが、このルートは比較的空いている。誰もが渋滞するだろうと思い敬遠すること、スクランブル交差点を過ぎて忠犬ハチ公先のバスターミナルの通り抜けがややこしそうなこと、ルート246を渡った先で代官山、中目黒方面に抜ける道が見つけづらいことによるのだろう。
交差点で信号待ちをしている歩行者の目の前を、停止線からダッシュしたモンキー125が、たった一台スクランブル交差点を抜けていく。『おおっ、この加速いいぞ』。午前中の渋谷に爽やかさと可愛さを提供できたと思う。
ルート246を渡り左折。今は無きベッチョ豆腐店の手前を右に曲がり坂を登る。結構な急坂。シフトアップしながら楽勝で登り切る。その先も下り、上りが続く。渋谷が、渋い谷だったことがよくわかる。大きなうねりを軽々とこなしながらしばらく直進、『猿楽小学校裏』の突き当たりを右折する。 同潤会代官山アパートは無くなったが、何やら楽しげな街並みに変わってくる。ここはファッションで有名になった代官山の地、駅が近い。
『槍ヶ崎』交差点
旧環六にぶつかり左折。『代官山交番前』から信号がうまく繋がると、左下りコーナーとその先の『槍ヶ崎』右下りコーナーが続くS字コーナリングが楽しめる場所だ。通学路の中では一番楽しいワインディングロード部分だ。道路上に点在するマンホールを踏まないラインがある。加速しながら安心して切り返すことができた。
環六に向かうにはその先の下り左高速コーナーを抜けることになる。ここは他のクルマもスピードを上げる場所だ。コーナリング中にアウトから被せられると結構怖い。しかし、発進でダッシュしたモンキー125に付いて来るクルマはいない。独走で3速ギアにアップし、さらにアクセルを開けつつ坂を下りきる。スピードを上げても前後ブレーキがしっかり効くのでいつでも減速できる安心感がある。
『中目黒立体交差』で環六を渡ってからの駒沢通りは、片側一車線で交通の流れのスピードが落ちる。非力だったZ50Mも、ここまでたどり着けば安心して走ることができた。
『めぐろ区民キャンパス』交差点
東急東横線のガードをくぐり、『五本木』を過ぎる。『駒沢陸橋』で環七をくぐりもうひと坂、下って上れば『柿の木坂』が見えてくる。左折して柿の木坂通りに入るとほどなくしてゴール地点の『めぐろ区民キャンパス』に到着した。
折角到着しためぐろ区民キャンパスだが、僕が通った高校はすでに無くなっていた。中高一貫校として8年前に生まれ変わっていたのだ。いい学校になりとても人気があるそうだ。
学校が変わるぐらいだから時代に合わせて排ガス規制も変わる。50年続いた50ccモンキーはその排ガス規制のため生産終了となったそうだが、昨年125ccとなって復活した。といっても復活したのは形と車名だけで、旧モンキーの最大のコンセプト『畳んでクルマに乗せられます』は無くなっている。ただし、その分得たものが多い。動力、制動、操安、乗り心地、すべていい。だからチョイ乗りからミニツーリングまでこなしてくれる。きっとロングツーリングも可能だろう。そしてライディングテクニックも学べる、あるいは駆使できる。人気があるのもうなずける。長く付き合ってくれる新しいバイクが誕生したという感想を得た。
走行13Km、所用時間45分。思ったより早く着いた。Z50Mで通っていたころより疲れがない。振動も少なく、乗り心地もいい。コンパクトな車体のため取り回しも楽だ。後ろを振り返りながら走る気疲れも無いからだろう、これなら授業にもっと身が入ったハズだ…などといい子ちゃんぶってみたが、実際には授業をサボってもっと遠くまで走りにいってしまった可能性の方が高い。こればかりはバイクのせいではなく個人的資質の問題か…。
その昔、高校の自転車・バイク置き場のあった場所にモンキー125を停めて記念写真を撮った。懐かしの通学ツーリングが終了した。
実走燃費:39km/ℓ
フルヤ シゲハル
主要諸元 モンキー125 【 】内はABS仕様 | ||
車体色 | パールネピュラレッド、パールグリッターリングブルー、バナナイエロー | |
車名・型式 | ホンダ・2BJ-JB02 | |
全長/全幅/全高(mm) | 1,710/755/1,030 | |
軸距(mm) | 1155 | |
最低地上高(mm) | 160 | |
シート高(mm) | 775 | |
車両重量(kg) | 105 【107】 | |
乗車定員(人) | 1 | |
燃料消費率 (km/L) | 国土交通省届出値:定地燃費値(km/h) | 71.0 (60)<1名乗車時> |
WMTCモード値(クラス) | 67.1(クラス1)<1名乗車時> | |
最小回転半径(m) | 1.9 | |
エンジン型式 | JB02E | |
エンジン種類 | 空冷4ストロークOHC単気筒 | |
総排気量(㎤) | 124 | |
内径×行程(mm) | 52.4×57.9 | |
圧縮比 | 9.3 | |
最高出力(kW[PS]/rpm): | 6.9[9.4]/7,000 | |
最大トルク(N・m[kgf・m]/rpm) | 11[1.1]/5,250 | |
燃料供給装置形式 | 電子式<電子制御燃料噴射装置(PGM-FI)> | |
始動方式 | セルフ式 | |
点火装置形式 | フルトランジスタ式バッテリー点火 | |
潤滑方式 | 圧送飛沫併用式 | |
燃料タンク容量(L) | 5.6 | |
クラッチ形式 | 湿式多板コイルスプリング式 | |
変速機形式 | 常時噛合式4段リターン | |
変速比 | 1速 | 2.500 |
2速 | 1.550 | |
3速 | 1.150 | |
4速 | 0.923 | |
減速比(1次/2次) | 3.350/2.266 | |
キャスター角(度)/トレール長(mm) | 25°00’/82 | |
タイヤ | 前 | 120/80-12 65J |
後 | 130/80-12 69J | |
ブレーキ形式 | 前/後 | 油圧式ディスク |
懸架方式 | 前 | テレスコピック式 |
後 | スイングアーム式 | |
フレーム形式 | バックボーン | |
メーカー希望小売価格 モンキー125 | ¥399,600(消費税抜本体価格¥370,000)*消費税8%で計算 | |
メーカー希望小売価格 モンキー125<ABS> | ¥432,000(消費税抜本体価格¥400,000)*消費税8%で計算 | |
製品詳細情報は http://www.honda.co.jp/Monkey125/ |