鈴鹿8時間耐久ロードレースは、私にとって特別なレースだと言える。今でも、必ず撮影に行く数少ない2輪のレースの一つなのである。
その、鈴鹿8時間耐久ロードレース、今年42回目を迎えた。初回の1978年当時、耐久レースの認知度が少ない為か、参加したマシンは、耐久レーサーと言うよりスプリントレースに近い仕様のものが多かったように思う。優勝したヨシムラのマシンはアップハンドルのUSスーパーバイク仕様で、急ごしらえのヘッドライトを装着、当時のラップタイムはふたつのシケインがなかったにもかかわらず15秒も遅かった。また、エントリー側からは、今となっては最大の魅力になっている、8時間と言うレース時間の長さにも不満が続出。さらには、ヘッドライトを装着しても効果はたかがしれている。1時間少々の夜間走行の為にレーサーに重い電装部品の装着を義務付けるのは問題があるのではないかという意見も出た。しかし、この問題は暗闇の中で迎えるチェッカーのドラマ性も有り2年目からはいっさい出なくなったと聞く。
その後も、年ごとに8耐には耐久レースゆえの数々のドラマがあった。今も、8耐の最大の魅力は、真夏の強い陽が沈み、サーキットが暗闇に包まれる、そんな時間に多く生まれる。闇の中を昼間と変わらぬタイムで走行するライダー達。8時間と言う長丁場、最後の数分で何かが起きる事もある中、ライダーたちはひたむきに最後のチェッカーを目指す。8耐はそんなライダーたちが作り出す筋書きのない壮大なドラマのような気がする。
今年もカメラを持ち、午前11時30分のスタートを迎えた。私は、8耐を撮るカメラマンの中ではいろいろな場所での撮影が少ない方だと思う。ここだと感じたところでは光やシチュエーションを待ち、撮り切れたという実感を得るまで一時間近く同じ場所にいるからだ。それがまったく苦にならない。迷いもない。集中力が変わることなく持続していく。
そうしているうちにも、刻一刻と時間が経過していき気が付くと夕暮れを迎えていた。ライダー、メカニック、スタッフ、そして観客席から応援する人々。それぞれが8時間耐久レースを共に戦ってくれているように思えてならない。その一員として自分がいることを感じる。だからなのだろうか、スタート時とおなじテンションでいながらもアドレナリンが増しているのが分かる。この感覚は毎年変わらない。
そんな鈴鹿の一夏に一回の一体感がたまらなく好きだ。
撮影・文:原 富治雄