
この夏、伊藤光夫さんが亡くなった。松尾さんの追悼記事を読んで僕は目頭が熱くなり、やがて涙が流れた。伊藤さんはなんて素敵なご家族をお持ちだったんだろう。涙の理由は悲しさのためなのか温かな気持ちに触れた歓びなのか、いまもって分からない。
松尾さんが送ってくれた『モーターサイクリストCLASSIC No.12』が届いた。松尾さんは、僕がオートバイ専門誌で働き始めた時の先輩だ。今も八重出版の資料室に籍を置いている。
そのムックには『追悼 日本モータースポーツ文化の基を築き逝った昭和のレジェンドライダー達』のひとりとして、7月3日にがん性胸膜炎のため82歳で亡くなった伊藤光夫さんの追悼記事が掲載されていた。松尾さんは7月5日にイズモホール浜松で執り行われた葬儀に出席し、さらにその様子を取材していた。
伊藤光夫さん逝去の訃報は、僕がレジェンドライダースクラブ(LRC)事務局を手伝わせていただいていることもあり早期に知った。僕は何人かの報道関係者にその知らせを転送していた。松尾さんはその中のひとりだった。それもあって、追悼記事を掲載したムックを義理堅く送ってくれたのだ。
伊藤光夫さんはスズキの社員ライダーとしてマン島に挑戦、1963年の50ccクラスで優勝した。それがどれほどの偉業なのかを実感するには勉強が必要だ。
当時、オートバイレースはスポーツとしてではなく、技術立国日本の力を世界に証明するための道具として、あるいは国威発揚として扱われていたように思う。世界グランプリのシリーズ戦の中でも一般市街地や山岳路を走り抜けるマン島TTはコース攻略の難しさ故、別格扱いされていた。そこでの優勝である。伊藤さんの優勝がいかに日本に勇気を与えたかは想像に難くない。
「百年のマン島」(大久保力著、三栄刊)によれば、1周約60㎞のマウンテンコースを3周して争われるレースを、狭いパワーバンドの2ストローク空冷単気筒50cc、10段変速のマシンで駆け抜けたとある。当時からスズキがいかに世界グランプリに力を入れていたかが分かる。マン島でのレースは100年を超え今も開催されておりクラスも多々あるが、現在に至るまで日本人で優勝したのはただひとりだ。
『モーターサイクリストCLASSIC No.12』が届いた週末の朝日新聞の夕刊にも、心のこもった追悼記事が掲載された。

葬儀の会場には、125cc2ストローク水冷並列2気筒14段変速のRK67が展示されていた。小さく、細く、しかし凄みを感じさせるたたずまい。1966年の第4回日本GPでは同型のマシンで3位に入賞している。
当時、僕は小学校3年生だった。記憶は定かではないが実家の白黒TVでマン島のレースドキュメント番組を観た記憶がある。その時初めて伊藤さんの走りを見た気がする。ずいぶん後になって僕がレース専門誌を作るようになって世界グランプリに出かけると、スズキチームに帯同している伊藤さんと会うようになった。温和で控え目な印象だった。
そんな伊藤さんに対しスズキはいつも敬意を表し大切にしているように見えた。伊藤さんもご自身の偉業をひけらかすこと無く黙々と働き続けているように見受けられた。その一方で、MFJ技術委員長として今日のレースの基盤作りにも尽力している。昨年末、これらの偉業を称えMFJが殿堂入りを決めた。LRCの名誉会員にもなっていただいた。
日本のレース界の歴史を作った伊藤さんが亡くなられたことはとても寂しいが、スズキと多くのレース関係者、そしてご家族のかた方に温かく見守られたご臨終と葬儀の様子を伺い僕自身の心は安らいだ。松尾さんの追悼文は、「枕元で、娘さんがスマホで再生する2ストレーサーの音を聴きながら旅立った」と結ばれていた。
それを読んで僕は目頭が熱くなり、やがて涙が流れた。伊藤さんはなんて素敵なご家族をお持ちだったんだろう。涙は、悲しさのためなのか温かな気持ちに触れた歓びなのか、いまもって分からない。
フルヤ シゲハル
伊藤光夫氏の主だった戦績:「百年のマン島」より転記させていただいた。表の作成は、八重洲出版の福島新介氏と4輪レースジャーナリストで記録に造詣の深い林 信次氏。伊藤光夫氏はマン島TT優勝のインパクトが強く他のレースでの戦績が埋もれがちだが、長きに渡りスズキワークスライダーとして世界グランプリを転戦し上位入賞を重ねている。また、数は少ないが4輪レースでも非凡さを見せた(4輪の戦績表は、「百年のマン島」では省略させていただいた部分を復活させ、さらに林さんのご厚意で加筆いただいた)。
2輪レースの部 | |||||
年 |
イベント |
クラス |
マシン |
決勝結果 |
備考 |
1959(S34) | 第3回全日本オートバイ耐久ロードレース(第3回浅間火山レース) | 耐久125ccウルトラライト | スズキRB125 | リタイア | 2輪デビュー戦 |
1960(S35) | マン島TTレース | 125cc | スズキRT60 | リタイア | |
1961(S36) | マン島TTレース | 125cc | スズキRT61 | リタイア | |
〃 | 250cc | スズキRV61 | リタイア | ||
1962(S37) | フランスGP | 50cc | スズキRM62 | 6位 | |
マン島TTレース | 50cc | スズキRM62 | 5位 | ||
ベルギーGP | 50cc | スズキRM62 | 3位 | ||
西ドイツGP | 50cc | スズキRM62 | 3位 | ||
東ドイツGP | 50cc | スズキRM62 | 2位 | ||
イタリアGP | 50cc | スズキRM62 | 2位 | ||
アルゼンチンGP | 50cc | スズキRM62 | 4位 | ||
〃 | 125cc | スズキRM62 | 3位 | ||
第1回全日本ロードレース | セニア50cc | スズキRM62 | 9位 | ||
1963(S38) | USGP(デイトナ) | 50cc | スズキRM63 | 優勝 | |
マン島TTレース | 50cc | スズキRM63 | 優勝 | ||
ベルギーGP | 50cc | スズキRM63 | 5位 | ||
フィンランドGP | 50cc | スズキRM63 | 2位 | ||
1964(S39) | USGP | 50cc | 3位 | ||
〃 | 125cc | 2位 | |||
スペインGP | 50cc | スズキRM64 | 3位 | ||
マン島TTレース | 50cc | スズキRM64 | 5位 | ||
ダッチTT(オランダ) | 50cc | スズキRM64 | 3位 | ||
ベルギーGP | 50cc | スズキRM64 | 4位 | ||
西ドイツGP | 50cc | スズキRM64 | 3位 | ||
1965(S40) | 西ドイツGP | 50cc | スズキRK65 | 4位 | |
スペインGP | 50cc | スズキRK65 | 7位 | ||
フランスGP | 50cc | スズキRK65 | 4位 | ||
マン島TTレース | 50cc | スズキRK65 | リタイア | ||
ダッチTT(オランダ) | 50cc | スズキRK65 | 4位 | ||
ベルギーGP | 50cc | スズキRK65 | 4位 | ||
第3回日本GP | 50cc | スズキRK65 | 3位 | ||
1966(S41) | 第4回日本GP | 50cc | スズキRK66 | 4位 | |
125cc | スズキRK67 | 3位 | |||
1967(S42) | 日本GP | 50cc | スズキRK69 | 優勝 | |
4輪レースの部 | |||||
年 | 日時、イベント、サーキット | レース | マシン | 決勝 | 備考 |
1968(S43) | 11月3日 富士オールスターレース 富士スピードウェイ | ミニカー | フロンテ | リタイア | 4輪デビュー戦 |
1969(S44) | 6月29日 富士300kmゴールデン第2戦 富士スピードウェイ4.3km | ミニカーⅡ | フロンテニアルコ | 3位 | 予選1位 10/10周#17 |
8月31日 富士300kmゴールデン第3戦 富士スピードウェイ4.3km | ミニカーⅡ | フロンテRP | 3位 | 予選7位10/10周 #17 | |
1970(S45) | 4月19日 ジュニア7チャレンジカップ第1回 富士スピードウェイ4.3km | Fジュニア | フロンテRF | 優勝 | 予選1位 10/10周 #23 |
5月3日 JAFグランプリ 富士スピードウェイ | FL500 | フロンテRF | 予選不通過(トラブルでタイムアタックできず) | ||
6月28日 鈴鹿ダイヤモンド 鈴鹿サーキット6km | FジュニアⅡ | フロンテRF | 優勝 | 予選1位 10/10周 #53 | |
7月5日 RQCミニカーフェスティバル筑波サーキット2km | ミニセブン | フロンテRE | 優勝 | 予選1位 20/20周 #6 |
# = ゼッケンナンバー
<参考資料>
Motorcyclist8月号臨時創刊「旧式二輪車専門誌 モーターサイクリストCLASSIC No.12」(八重洲出版刊)付録とも定価:1,480円 発売中
朝日新聞2019年8月10日(土)夕刊 惜別
「百年のマン島」(大久保力著、三栄刊)定価:本体1,944円
株式会社三栄のサイトで購入可能
また、ASB電子雑誌書店で「百年のマン島」に著者自ら加筆した「世紀の闘走 マン島TTと日本人」も発売中¥1,500

大久保力著「百年のマン島」(2008年三栄刊)。著者の大久保力氏は、本作執筆中にマン島に出場した伊藤光夫氏、砂子義一氏、谷口 尚巳氏、田中楨助氏、本橋明泰氏、高橋国光氏、北野 元氏を招き、2006年10月25日パレスホテル東京で座談会を開催した。その中で伊藤氏は、スズキチームがマン島TTに挑戦するに当たり、椿山荘でテーブルマナーを習い、身だしなみを整えるため銀座・英国屋でスーツをオーダーしたエピソードを懐かしそうに披露した。同書には、「マン島TTレース(WGPシリーズ期間[除く1930年])に出場した日本人ライダー」の全記録も掲載されており資料的価値も高い。