『何km/hまで目盛りが割り振られているのだろう?』停車しているオートバイがあればそれを確認するためスピードメーターを覗き込んだ。オートバイに憧れてはいたが、まだ免許を取る資格が無かったあの頃、スピードメーターに書き込まれた速度は性能の証であり、数が大きいほど僕の中では存在感が増した。
タコメーターに対する興味は、スピードメーターからやや遅れてやって来た。世界のオートバイレースを席巻した「高回転高出力」という心地いいフレーズを知った後、ホンダのバイクの回転計を覗き込むと、レッドゾーンが他メーカーのバイクに比べ明らかに高い回転域に設定してあった。2~3,000回転/分は上回っていたと思う。乗って体験することが出来なかった僕にとって、停まっていながらにしてそれを知らしめる唯一のシグナルだった。
僕は驚異や羨望を抱きながらひとりため息をついた。あのため息はいったい何だったのだろう。体験したことのないスピードへの憧れだったのか、どんなに小遣いを貯めても所有できるハズがないという諦めだったのだろうか。ただ言えることはメーターにはいつも夢があった。
現代と同様、メーターにも様々な形のものがあった。ヘッドライトやタコメーターと一体になったもの、楕円形のもの、角張ったもの。分度器のように180度の扇の中に目盛りがふられたものもあった。スピードメーターとタコメーターの直径の違うものや、タコメーターかと思ったそこがキーシリンダーだったものもあった。そんな中で僕のお気に入りは、スピードメーターとタコメーターが同じ直径の円型でそれぞれ独立しているものだった。メーターはなるべく装飾のない計器であって欲しかった。そして、ほぼ一周に渡って目盛りがふられていればベストだった。
そんな中で、僕の期待を遥かに超えて登場したメーターが、ホンダ・ドリームCB750Fourだった。バイクも大きかったが、ヘッドライトも大きく、そしてヘッドライトとハンドルの間に、これまでに見たこともなかった大径のスピードメーターとタコメーターが備え付けられていた。目盛りはほぼ全周に渡り細かく振らており、ウインカーのインジケーターに隠れているものの良く見ると220km/hを超えてもさらに目盛りが振ってある。計器が『何km/h出しても計れるよ』と語っているようでもあった。
もうひとつ、僕をとりこにした理由があった。それは、メーターが傾斜して、ライダーの顔を見ていることだった。上を向いているメーターが多かった中で、この角度は新鮮だった。大径でなおかつ傾斜していることで、存在感は絶対なものになった。後年、市販車で最初にアルミフレームを採用したスズキRG250Γのタコメーターが路面と水平に取り付けられているのを見たときに感動のあまり痺れた記憶があるので、僕にとってメーターの取り付け角度はこの時以来、最重要なもののひとつになった。
停まっていながらにして夢を育むもの、これこそがメーターがむき出しになっているバイクの魅力だ。オートバイとメーターは切っても切り離せない。
先日このサイトに掲出した「『CB』誕生60周年記念イベントでタイムスリップ」のエッセイに思いのほか多くの反響があった。歴代のCBには、みなさんそれぞれの思い出があり、それを集積したCB展がいつしかCBという枠を超えてオートバイ乗りの共感を生んだのかもしれない。
しかし、このエッセイをFacebookから読まれた方の中に「CB750FBのメーターが盗難された」という悲しいコメントも含まれていた。その方のその時の気持ちはいかほどだっただろうか…、そして今は…。
僕は、返答がまだ書けずにいる。
それぞれのモノには大切な思いが込められている。盗むのは許されない。
フルヤ シゲハル